猫でも知っている数学
高校の時の数学の授業の時に「定理」と「公理」の話がありました。
「公理は証明しなくても誰でもわかる明かな事柄で、定理は公理を使って論理的に証明しないと明かとは言えない事柄」のような内容でした。
その時の授業で先生が例えたのが、猫でも知っているのが「公理」という話。
①野良猫が食卓の上にある今日の晩ご飯の魚をくわえているのにばったり遭遇
②「こらぁ〜」と大声を上げる
③サザエさんの猫よろしく、猫はびっくりして出口に向かってまっすぐ逃げる
④猫は出口まで最短距離は直線である事を知っていてわざわざ曲線とか大回りはしない
→「2点間の最短距離は直線である」は猫でも知っているので公理である
公理は当たり前すぎて、証明しようと思っても証明できません。我々の日常でも人に何かを説明したり、何かを伝えるのもある種の証明だと思います。自分や他人が当たり前と思っている事実を論理的に積み上げて、自分の言いたい新しい主張を相手に理解してもらう作業をやっています。
でも人によって当たり前と思っている「公理」のレベルが違うので、中々相手に伝わない事が少なくありません。私も人に伝えるときは自分の知っていることを前提に話してしまう事が多くて、上手く伝わってないなともどかしく思うことがあります。
自分が当たり前と思っていることは実は「公理」ではなくて証明が必要な「定理」の事が多くないでしょうか?相手が腑に落ちていない事を前提に話しても相手は納得できないだろうと思います。伝えるためには相手が当たり前と思っているレベルを確認し、それに応じた言葉を選ばなければならないのではないでしょうか。
更に多くの情報があふれる現代では、証明されているかどうか分からない情報が事実として氾濫していると感じる事があります。
世の中にある「うまい話」って証明されていない定理みたいなものじゃないですか?自分の知識の範囲で理解できなかったら、信じない方が賢明です。それはひょっとして誰も証明できない偽の情報かもしれません。
昨今の我々は情報が多すぎて、ネット情報を始め証明できなくても信用する変な習慣が身についてしまったような気がします。自分の頭で考えて理解する習慣をもう一度見直す必要がないでしょうか。